三号被保険者制度の早期撤廃を


―いくらなんでも不公平!!−

     お知らせ:このサイトが2006年3月発売の経済セミナー増刊号に紹介されています。このページを推奨してくれたということは、担当者が(働く)女性だと想像できます。実はこのサイトは働く女性にはなかなか好評。日本の既婚女性は、はっきりと二種類に分けられるようです。

 

 

国民年金が空洞化してきている。社会保険庁が8日発表した2000年度の社会保険事業概況によると、2001年度の未納率は史上最悪で27%であった。国の年金制度に対する、現役世代の不信感は強い。払っても払わなくても、どうせもらえはしない、と考えている人は私の世代では多数派ではなかろうか。

年金崩壊の予感はセールストークにまで利用されている。先日も不動産屋が電話をしてきて、都内にワンルームマンションを買え、という。国の年金制度は当てにならない。今のうちに老後の収入を確保しろ、ということだ(注:マンションは古くなったら価値がなくなりますので、こんなセールストークに乗ってはいけません)。

マンションを買うかどうかは別にして、年金崩壊の予感は現役世代の消費に重大な影響を及ぼしていると実感する。今、日本は、デフレだ、経済危機だといわれる。しかし、個人消費が伸びないのは、個人がお金を持っていないからというより、お金が回っていないことにより大きな原因があるように思われる。個人の貯蓄率は相変わらず高い。莫大な貯蓄で老後に備えているのである。将来年金がもらえなくなるという危機感は、どうしても現在の消費を鈍らせる。インフレのリスクが感じられない以上、将来に備えるにはお金で持っているに越したことはない。デフレに拍車がかかれば、ますますお金で持っているほうが有利である。なかなか景気が回復しないわけだ。

 国民年金は掛け金を払わなければ、将来の受け取り額が少なくなる、またはもらえなくなることもある。が、どうせ崩壊するのなら、払わないで、預金に回した方が賢い、と考える人が増えているのか、年金空洞化は進む一方である。本当に崩壊してしまえば、払わなかった者勝ちである。ところで、掛け金を払わなければ受け取れない、というのは国民年金の原則である。たとえば、任意加入だった時期に保険料を払っていなかったため、年金をもらえず、困窮している障害者がいるが、この方々に対する国のスタンスは「年金は保険料を払った人がもらえる。払っていない人に出すと、制度の根幹にかかわる」というものである(朝日,1999)。しかし、一方に、一円も掛け金を払わずに、年金を受け取る人がいる。三号被保険者、つまり、サラリーマン世帯の専業主婦である。

専業主婦(三号被保険者)の国民年金は、配偶者が代わりに払っているわけではない。ここのところを勘違いしている人はかなり多い(大学教授にすらこういう輩がいる。学生諸君、要注意)。既婚、未婚にかかわらず、支払う保険料は同じである。専業主婦の年金は、シングルや共稼ぎ世帯などの支払った掛け金で賄いわれているのだ、と言ってしまうと必ずしも正確ではないが、そういう不公平感が存在するのは当然といえる。しかも、その数がまた多い。三号被保険者は国民の実に10人に一人、1千 200万人も存在しているのである。一号被保険者(国民年金の加入者で支払い義務のある人)が2千万人程度で、その7割が実際支払っているとして、1千 400万人、厚生年金の加入者が3千万人台であることを思えは、1千200万人の主婦の存在はいかにも重い荷物といえる。前述の障害者のケースとは桁が何桁も違う。これが「制度の根幹にかかわる」問題でなければ、制度の根幹にかかわる問題など存在しない。

しかし、三号被保険者制度の撤廃については意見百出でなかなか先へ進めないのが現状である。この制度存続を支持する人が持ち出す典型的な議論がいくつかあるので、ここではその一つ一つについて考えてみる。

まず、“専業主婦は、子育てや地域の活性化など、ちゃんと役に立つ仕事をしている。”というものがある。これは主婦自身がよく持ち出す、最も稚拙な議論である。 “役に立つ仕事をしている”のが、仮に事実だったとして、だから払わなくてもよい、という理屈はどこから出てくるのか。年金の掛け金を払っている人は、 “役に立たない仕事”をしているからペナルティーで支払っているわけではない。“掛け金は役に立たない人が払うものだ”、という理屈がない以上、“役に立っている!”と強弁することには何の意味もない。少なくとも、払わなくて貰えるという現行制度を正当化する役には全くたたないのである*。

*「三号被保険者は掛金を払わないのに年金を受け取る」これは単純な事実である。にもかかわらず、この事実を指摘されただけでなぜか怒り出し、賤業主婦は子育てをしている!などと言い出す人がいるのには困ったものだ (子育てなんか専業の特許じゃないけどね)たとえば飲食店で食べるだけ食べて代金を払わずに店をでることを無銭飲食という。これは単なる事実。そこに「無銭飲食をしている人は子育てや役に立つ仕事をしているんです!」なんていったって無銭飲食は無銭飲食だ。こういった意味不明の屁理屈こそ石原里紗が指摘している専業主婦の特徴なのだと思う。ちはみにこの本は、このサイトの読者(男性・既婚)が面白いからと教えてくれたもの(*下にアマゾンのリンクをはりました)。

似たようなものに、“専業主婦は子育てをしている。子供はいずれ社会貢献をする”というものがある。これは先のものよりは若干説得力があるかもしれない。(個人的には最も嫌い。主婦はすぐ子供を武器にして戦おうとする。しかも子供を守るためではなく、自分の存在を正当化するための戦いだ。)しかし、子育てをしているから払わなくてもよいのであれば、共稼ぎで子供を育てている人(専業主婦の何倍も苦労しているだろう)は払わなくてよい、としなければ理屈に合わない。逆に、専業主婦で子供のいない人、あるいは事故や病気で結果として子供を失ってしまった人には、払ってもらわなければならない。もっと言えば、例えば、3人の男の子がいずれも、年金をキチンと支払う大人になったというお母さんと、一人娘がまたまた専業主婦になってしまったというお母さんでは、年金制度に対する貢献度はずいぶん違うと言わざるを得ないではないか。そもそも、ある人の社会的貢献度を別の人(夫であれ、子供であれ)で計るのは妥当とはいえない。税金であれ年金であれ、夫婦や世帯単位ではなく、あくまで個人を基礎として考えるべきなのだ。

同様に無意味なものに、厚生労働省の「女性と年金検討会」の堀岡弘嗣氏(東芝人事勤労部労政担当部長)の「価値観は多様で、家庭に入りたい女性もいる」という主張がある。これは問題のすり替えである。いま持ち上がっているのは、女性が家庭に入るのが正しいかどうかという問題ではない。そのたった一つの選択肢(価値観が多様であるにもかかわらず!)に国が経済的インセンティブを与えていることが問題なのだ。また、その女性の選択によって発生したコストを他の人に押し付けている現状が問題なのである。家庭に入りたい女性がいるのはかまわない。でも、自らの選択のコストは、自ら負担すべきであろう。

ところで、同じように「家庭に入る」選択をした人でも、夫が自営業者の場合(一号被保険者)の場合は、妻も一号被保険者となり、国民年金の掛け金を支払わなければならない。つまり、三号被保険者制度は、「サラリーマンの」専業主婦限定の特別優遇措置なのである。なぜ、同じ専業主婦でも自営業者の妻は支払わなければ無年金になり、サラリーマンの妻は支払わなくても年金がもらえるのか。上でみた、3 つの議論はいずれも、この矛盾を説明してくれない。サラリーマンの主婦と自営業の主婦の差は、三号被保険者制度が生み出している不公平感のなかでも最大のものといってよい。もっとも、この差は、三号被保険者制度を自営業者の専業主婦にも拡大すれば解消する。しかし、この案は年金制度崩壊に大手をかけてしまうためか、全く検討の対象になっていない。

最も説得力があるのは、「払えないんだから仕方がないじゃん」というもの。社会保障なんだから、能力に応じて支払い、必要に応じて受け取ればよい、という考え方である。これはこれで一つの考え方である。が、これは先の「制度の根幹」を考え直す覚悟が必要である(まさに、資本主義から社会主義への大転換)。くりかえすが、払えない(=収入がない)、からという理由で払わなくても受け取れるのは、現行では、サラリーマンの主婦の場合だけである。自営業の主婦の場合は先に述べたが、サラリーマンの夫がリストラにあい、二号被保険者の資格を失うと、妻は自動的に三号の資格を失うことになる。つまり、失業で前よりもっと払いにくい状態になると、なぜか支払い義務が発生するのである。これは矛盾である。また、同じく収入がなくても、学生には支払い義務があり、未払いの期間が長くなれば、年金額が減らされる。また、夫以外の人、例えば、老親や子の世話になっている、という人も、三号のような優遇はうけられない。相互扶助として年金を位置づけ、矛盾なく運営するつもりなら、あらゆる理由で保険金を支払えない人にも、優遇措置を拡大しなければならない。サラリーマンの主婦だけ、というのではいかにも不平等である(しかも人数からみて“例外”とはいえない)。

最後に、有力な反論のようでぜんぜん有力ではない意見を紹介する。発信元は上智大法学部教授の堀勝洋氏(引用は朝日、1999)。 曰く、「夫が月給四十万円、妻が専業主婦の場合、“夫の四十万円分の保険料+妻の保険料”、夫婦二十万円ずつの収入なら“夫婦で計四十万円分の保険料”。年金の受給額は同じなのに不公平」。よくこんなことを言うものだ。こういう制度には未だなっていないので、“年金の受給額は同じ”というくだりがどこから出てくるのか分からない。改革する際に保険料に応じて受給できるようにしておけばすむことだ。つまり、“夫の四十万円分の保険料+妻の保険料”を払ったペアは“夫の四十万円分の年金+妻年金”、“夫婦で計四十万円分の保険料”を払ったペアは“夫婦で四十万円分の年金”とすれば問題はない。繰り返すが、未だない制度なので、確かなことは言えないが、仮に堀氏のいう不公平があったとしても、金額的にみて、現行の不公平の比とは到底思われない。改革後にごく小さな不公平が生じる可能性があるから、現行の巨大な不公平は温存されるべきだとはお粗末な議論ではないか。 引用:朝日 くらしのあした(平成11年6月7日) 2002/2/10

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 働く女性の皆様のご意見募集 (お便りはこちらで紹介させていただいています)


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 太郎さんのページ (お父様にそっくり)

くたばれ!専業主婦 (知恵の森文庫)

くたばれ!専業主婦 (知恵の森文庫)
(2003/01)
石原 里紗

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年金改革案に経団連大反対


私も反対 (2003/11/18)

 

厚生労働省が17日に公表した、年金制度改革案に経団連が猛反発している。

17日に公表されたものに対する意見書  http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2003/111.html が翌18日にでてくるくらいだから、危機感は相当なものだ。厚生年金は契約書も見せられることなく、強制的に加入させられるという理不尽なシステムだ。したがって、掛け金は実質的には所得に対する税金であり、しかも労使折半なのだから、雇用者にとっては死活問題である。議論があるのは当然だ。私は、経済界の意見に全面的に賛成するわけではないが、今回の改正については同様に不満である。以下にいくつか議論しておきたい。まず、年金積立金の取り崩しについてであるが、これだけは賛成だ。近年、積立金の運用赤字が膨らみつづけており、その額、累積で実に6兆円(!)という。あほか!!!!!!である。運用には、“うまみ”があるため取り崩しには族議員の反対があるだろうが、このような議員はいますぐ辞職してもらいたいものだ

今回の改正は3号被保険者の不公平性について全くふれていないことは大問題だ。上記にも議論したが、1200万人もの専業主婦が、掛け金を払わず年金を受け取れば、年金財政が苦しくなるのは当たり前である。今、厚生労働省のコピーで、「誤解!年金がもらえなくなるなんて言ったの誰?*1」 というのがあるが、年金が崩壊の危機にあることは、ちょっと考えれば 誰にだって分かる ことであろう。夫婦が会社員と専業主婦の場合、「夫の厚生年金保険料を夫婦で共同負担したとみなす」、とあるのは、ずいぶんなまやかしである。だって、家の専業主婦が居るからといって、その分保険料が高くなるわけではないからだ。夫婦合わせた受給額は多いにもかかわらず、である。もし、「夫婦で共同負担したとみなす」というのならば、専業主婦がいようといまいと、同額の保険料支払いに対す受給額額は同額でなければならない。支払いに対する受け取りが同額であるならば、それを自分だけで使おうが、夫婦で分けようが、別に他人が口をはさむことではない。政府が離婚時の心配までしてやっているのは、妻の権利を確保してやりたいという仏心ではなく、生活保護を増やしたくない、ということもあるのではないかと勘ぐっている。理由は生活保護ののほうがずっと高くつくから(←これ結構問題である。だって、何年も掛け金を払いつづけて、やっともらえる(というか返してもらえる)基礎年金より、一円も払わず只もらえる生活保護の方が高いとすれば、だれだって払いたくなんかないですよ)。

厚生年金適用基準について、週20時間パートを組み入れることにしたのは、悪くはない。が、これはパートの時間を週19.5時間に短縮するだけのようにも思われる。 国民年金については、4割が払っておらず、空洞化が問題視されつづけている。ここまで多いと実質、任意加入といってよい。しかし、年金制度がかくも危うい以上、逃げられるものなら逃げたいと考える人がいるのは理解できなくもない(私だって逃げたい)。この際、無理に加入を増やそうとしないで、基礎年金をすべて国庫負担にしてしまう、というのも一考の価値があるのではないか。なにしろ、現在は、払わない人へ説得などに、結構費用がかかっていて、結果徴収できる金より、徴収コストの方が高いくらいなのだから。こんな無駄はないではないか。基礎年金をすべて国庫負担にすれば、三号の不公平も議論なしで是正されることになろう。財源として消費税の大増税が必要となるのかもしれないが、これはやむを得ない。もちろん、公共事業(特に砂防ダム)や中国へのODAなどの無駄を見直すことが増税の大前提であることは言うまでもないが。

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働く女性と主婦の年金比較


日経新聞日曜版から拝借 (2006/8/13)

上記日経が働く女性と専業の年金比較の数字を出しているので紹介。ちなみにウラはとってません。

 

働く既婚女性

専業

保険料(総支払額)

   923 万円

  0円

受給額(年間)

   121.5万円

  64万円

総受給額(85で死亡)

   2430 万円

  1280万円

保険料に対する受給額

    2.63倍

無限大倍 (∞)

 

です。確かにもらえる金額も多いけれど、負担も大きい。報酬比例部分は掛け金923万円に対して1150万円ですから、全額支払われたとしても年利1%いきません。定期か投信にでもしておいたほうがず〜っとマシです。預金なら仮に70歳くらいで死んでもお金は残りますが、年金の場合は丸損です。丸々賤業主婦盗られてしまうのです(←三食昼寝だからたぶん長生き)。その上、減額のリスクまであります。日本のような福祉過剰国家ではホント働いたものが負けなんだなとつくづく感じます。

三号被保険者制度なんかを温存するよりは、すべての人の基礎年金を税金でまかない、生活保護を基礎年金以下に引き下げるほうがまだましかと思いますが、財源が所得税の場合はちょっと微妙です。働かない奴がもらえる構図は変わらないですから。

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子供の扶養控除がなくなったのに残る配偶者控除!?

タイトルの通りです。子供は控除がなくなったのに、配偶者控除は残っている。これ、理解できません。子供は働けないけれど、配偶者は(男であれ女であれ)働こうと思えば働ける。にもかかわらずなぜ控除が残るんでしょう?子供の扶養控除はこども手当で置き換えられたとかいう人がいますが、所得制限が付くなら児童手当の代替品と理解すべきでしょう。以前は児童手当と所得控除は両方あったわけで、児童手当の名前がこども手当と変わり、扶養控除は単純になくなったと理解すべきだと思います。少子化対策とかいっておきながら(まあ、対策が必要かどうかについては個人的には疑問はありますが)、扶養控除はなくして配偶者控除を残す。意味わかりません。働かない配偶者は子供とちがって別に不足しているわけでもないのに、なぜ特別に優遇するのでしょう?政府は税金が余って困ってるんですかね?・・と嫌味を言いたいですが、それ以上にですね、配偶者控除の一番の問題は、女性の低賃金労働を許してしまうところにあると思います。既婚女性がとんでもなく安い賃金で使われるのは、「控除内」という壁があるから。女性自身のために早くなくしたほうがいいです。

 

2011.7.27

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