「真水で10兆円」

 

−だれかこの田舎者にがつんといってやってくれ−

 

 

私はケインズ型の財政出動には懐疑的だ。理由は、「人はみな長期的には死んでしまう」というような短期決戦思考では環境屋は勤まらないから・・・・ではない。現実問題として、日本の公共事業のほとんどが環境にきわめて深刻で不可逆なインパクトを与え続けてきたし、今後もその方向がにわかに変わるとは信じられないからである。ただし、一部の例外を除いて。以下に順を追って議論しよう。

最近は、「財政出動型」の人でも、さすがに「ムダな」公共事業には賛成しない、という人が増えてきた。同じ公共事業をするなら、乗数効果の大きい、コストベネフィット(以下B/C)的に引き合うものをしましょう、などと言う。ぼんやり聞いていてはいけない。乗数効果が大きいというのと、B/Cで実施価値があるというのとは、全く別の次元の話である。乗数とは限界貯蓄性向の逆数で与えられる数値である。限界貯蓄性向とは、幾らかお金をもらったとき、そのうちどれだけを貯蓄に回すか、その割合のことを言う。貯蓄率が低いのは、ほしいものがあるのにお金のない人、言い換えればどちらかというとビンボーな人である。お金が十分あり、さしあたって買いたいものはすべて持っているという人は、追加的にお金をもらっても、とりあえず貯蓄でもしようか、ということになりやすいので限界貯蓄性向が高いと考えられている。乗数は、その貯蓄性向の逆数、つまり貯蓄率が高ければ小さくなり、低ければ大きくなるような数値である。

一方、B/Cとは、ある事業を実施するとして、その費用(コスト)が、事業の結果生じる便益(ベネフィット)より大きいか小さいか、という指標である。たとえば100億円かけて大きな橋を架けたとして、その利用者が日に3人だった、という場合、B/C的に考えて引き合わない、という。これは、その橋を造ることによって政府が使ったお金が、限界貯蓄性向の低い人のところに回ったかどうかという話とは何の関係もない。

問題は、財政出動型の人が気楽に言ってくれるように、「乗数効果が大きく、かつ、B/C的に合理的」という都合のいいものがあるかどうか、というところにある。普通に考えて、B/Cで引き合うような財やサービスを生産することができるのは、好況産業であろう。市場で、利用料などの形で利益を上げられるなら、あえて、パブリックセクターで実施する必要もない。好況産業に税金で仕事を落としても、乗数効果は上らない。乗数を大きくしたいなら、不況産業、つまり、設備はあるが仕事がない、というところに仕事をつくってやらなければならない。では、「不況産業」がなぜ不況なのかといえば、市場で魅力的な財やサービスを提供できないから、あるいは、その産業の提供する財がすでに過剰に生産されてしまっているからではないのか。乗数効果を得ようとするならば、おのずと不況産業、あるいは公共事業でしか養いようのないような産業、はっきりいえば土建業界(今の日本の場合)に金が流れやすいのである。日本の土建業界に従事する人の数は人口比でアメリカの倍と聞く。これを減らしてゆかなければ日本の「戦後」はいつまでたっても終わらない。いくら乗数が大きいからといって、ここに金を落とし続けていたら、構造改革は進まない。構造改革が進まなければ、ますます無駄なダムだの河口堰だの道路だのを作りたくなってしまう。

最近はB/Cがうるさいものだから、いらない公共事業に無理に便益を作り出そうとする。水関係なら利水と治水だが、利水のほうは農業人口が少なくなってきたせいで、最近さっぱり受けなくなったので、治水のほうが頻繁に使われるようになった。洪水があったら、こんなに大変なことになりますよ〜〜という脅しをかける例が目立っている。しかも、根拠となる数値は、いわゆる「基本高水流量」が異常に大きく見積もられていたり(でたらめな数値ではないのだが、計算に、ある統計的なトリックがあり、結果としてとんでもない数値になっている)、工事をすればリスクは完全にゼロであり、しない場合100%水害が起こるかのような、つまり受け手にあやまったリスク認知をおこさせるような文言を使ったりと姑息な手で攻めてくる。こうして日本に残ったわずかな水辺が危機にさらされるのである。大迷惑。ケインズ派の人は、こういう現実のメカニズムを理解し、ちゃんとしたオルタネティブをあわせて提案するのでない限り、口を開くべきではない。

自民党の亀ちゃんは、あの、中海干拓事業を始め200以上の公共事業を差し止めた実績をもつ人物である。だから本人は、財政出動型であっても「ムダはしないんだ」、と胸を張っているだろうと思う。しかし、差し止められた公共事業のほとんどはすでに休止中で、当年度予算もついていなかった。中止を決定した2000年度の予算で、中止によって削減された事業費は、建設省、農水省あわせて150億円程度にすぎなかったという。年間50兆円ともいわれる日本の送公共事業費にくらべると微々たる数値である。亀ちゃんは、「総額は減らさず、ムダな事業を中止して必要な事業を実施すればいい」などと言っているらしい。だが、すでに述べたように、公共事業の期待便益は、なんだかわからないうちに作り上げられてしまうものなのである。「真水で10兆円。都市部の電柱を地下にうめて美しい町を子孫に残す」などといって、従来の公共事業では絶対に取れない都市部支持を得ようとしているらしい。でも、電柱埋めるだけで10兆円は高すぎる。残りの9兆7千億円(?)はなにに使うのだろう?どうか瀬戸内埋めて広島六区と四国を陸続きにしようとか言い出さいとよいが。

では、私は公共事業に代表される政府の役割をまったく否定するのかと聞かれればそうでもない。近年、各地で急速にもりあがっている「緑のダム構想」、これはいい。いままで橋やらダムやら造っていた人に、森の枝打ちや間伐をやってもらう。この仕事は、治山、治水、環境保全、という外部的な便益を勘定にいれなければ、費用便益的に引き合わない仕事である。だから山の所有がはっきりしていても、「私有地の悲劇(?)」が起こっている。でも、外部的な便益をきちんと評価すれば絶対に割に合うだろう(環境コストって高いんですよ)。これを公共で実施すれば、一石二鳥、三鳥である。乗数だってきっと大きいにちがいない(多分)。

 

2003/09/08

 

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