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素人連帯保証人

 

―金に関する悲喜劇の根源―

 

「昭和30年、父がなくなりました。お葬式を出した翌日、事件は突然嵐のようにやってきました。父を見送り、悲しみにくれている私たちのもとへ、いきなり見知らぬ人たちが取り立てにおとずれたのです。

 聞けば、父の仕事仲間だったAさんが借金をし、父はその保証人になっていたのとのこと。借金をかえせなくなったAさんでしたが財産はすべて妻子名義にしていました。」

 

  出典: 三崎千恵子 東京新聞「この道」82より

 

 

はじめに 

保証人の悲劇の問題は古典的な問題だ。あの「なにわ金融道」の青木某も、連帯保証人制度こそすべての悲喜劇の源と言い切っているくらいだ。昔から保証人になってはいけない!と訴える本や、上手な断り方を指南した本は多数出版されているが(脚注1)、この数の多さは、保証人を頼まれることがいかに不運かを雄弁に語っていると思う。とある特殊法人の金融屋が「人が連帯保証人になるのは詐欺にひっかかるのと同じで、本人に欲があるからだ」みたいなことをHPに書いていたが、それは違う、と断言できる。政府系金融機関に勤める人物の認識がこのようなもの(脚注2)であるとすれば恐ろしいことである。

連帯保証人とは?

保証人には「単なる保証人」と「連帯保証人」があるが、日本の金融システムで利用されているのはほとんどが連帯保証人である。連帯保証人は単なる保証人と違って、催告の抗弁(主たる債務者に先に請求するよう要求すること)や、検索の抗弁(債務者に資産があるのでそれで払わせるよう要求すること)ができず、債務者が支払いを怠った場合、すべての債務を一括で弁済することが要求される。つまり、主務者が債務を放棄したら、たとえその人物に隠し資産があろうと、財産を前もって妻子の名義にしていようと、それで支払うように要求することができないのである。だから、上記のAさんのようなことがおこり、連帯保証人は、資産を妻子名義にしたA氏にかわって、家屋敷をはじめすべてを取られるハメになるのである。しかも、である。このような、ほとんど人生のすべてをルーレットにのせるようなリスクを負いながら、素人の保証人は主務者に保証料を要求することは、まずない。つまり、他人の連帯保証をするのは、全くタダでリスクだけを背負い込む行為であり、全くのところ、ボーナスのすべてを穴馬につぎ込むよりさらに馬鹿げた行為なのである。まさに、「なるな! 保証人―印鑑一つですべてを失っていいのか」(脚注に紹介の本のタイトル)である。

金融における連帯保証人の役割

さて、ハンコひとつで全てを失いかねない連帯保証人であるが、個人や中小企業の金融の場面では当たり前となっている。特に、中小企業の経営者が会社の借金の連帯保証人になることは、リスクの補完という意味で一定の合理性があり、また、日本特有のものでもない。中小企業の中には、会社が経営者の個人の思うままになり、利益をすべて経営者個人や家族の給与とする一方、企業内部にはほとんど資産をたくわえない会社がある。このような企業に融資をしたはいいが、利益は経営者とその家族に吸い上げられて、会社だけ倒産という形で債務放棄をされたのでは貸し手はたまらない。だから家族経営に近いような中小企業―たとえそれが株式会社であっても−経営者個人を連帯保証人にするのは、貸し手としてはむしろ当然なのである。したがって(個人的にはこの制度には疑問をもつものの)この制度は「江戸時代の遺物であり民主主義の世にはあわない」などという出所不明の議論(こういうのは多い、たとえばhttp://www.sodan.info/rentaishui/)に合意することはできない。(連帯保証人についてはフランスにもドイツにも類似の制度が存在。確証はないが、江戸時代の遺物ではなく、明治時代の輸入物ではないかと推察している。不合理なものを何でも江戸時代のせいにするのはいかがなものかと思う。江戸時代の諸制度は今あらためてながめてみると小さい政府ながら隅々までかなりよくできていて驚く)。

 

第三者連帯保証人

問題なのは経営者とは生計を別にする、経営や金融に関して専門家でない第三者の連帯保証人である。保証人制度の問題点を議論するときに、両者の区別をすることは極めて重要である。なぜなら、経営者はリスクに関する正確な情報を持っているが、素人保証人にはそれがないからである。ここで、保証人の経済的役割であるが、金融機関の貸し出し金利は、その金融機関自身の儲けを除けば、「貨幣の機会費用」と「貸し倒れリスクに対する保険料」の合計である。この、「貸し倒れリスク」を肩代わりするのが保証人である。リスクを保証人に負わせることによって、リスクに相応しくない低金利での融資が可能となり、借り手、貸し手の双方が便益を享受する。したがって、事実上の主務者である経営者と金融機関は、保証人に対して不利な情報を隠蔽し、また保証人のリスクに対する誤認を放置するインセンティブを持つ。積極的に嘘をつかないまでも、情報を開示し、理解しやすい説明をすることは、彼らの利益に反するのである。

弁護士の升味佐江子氏は、代位弁済を迫られた保証人からは、「銀行の担当者も形だけだと言ったのに」、「そんな経営状態だとは知らなかった」というような話を良く聞くと述べているが(脚注3)、経営者本人と、連帯保証をしている他人とでは持っている情報量は全く違うのである。情報をもっている経営者本人は、倒産が近いとわかれば、前もって家族に資産を贈与するなど相応の準備をすることができる。しかし、素人保証人は、金融機関から請求をうけて初めて主務者の破産を知り、その時点ですでに莫大な遅延利子が生じていることさえあるというのだ。この文章を読んでいる貴方! 貴方がサラリーマンなら、とりわけ中小企業の連帯保証はしてはならない。なぜなら、中小企業の借金は桁違いだからである。個人がサラ金から借りられる限度額は知れている。運悪く保証債務を断れなくても、せいぜい数百万くらいの損害で済むだろう。しかし、中小といえども、企業活動をしているところの保証債務は2千万、3千万という金額にすぐになってしまう。このような借金の連帯保証を平気でサラリーマンに依頼してくるような人物(本HP免責研究分室のケースのような人物)とは、旧友であっても親兄弟であっても依頼をうけた段階できっぱり縁をきったほうがよい。連帯保証を頼みにくる連中の中にはまったく自己中心的な輩がいて、連帯保証人になってくれなければ首をくくる、腹を切る、と脅す場合もままあるが、それでも断固ことわるべきである。はっきりいってこういう輩の命より貴方のお金のほうがよっぽど大事だ。心配しなくてもどうせ死にはしないし死んだところで貴方が責任を感じる必要など微塵もない。

これだけ問題の多い素人の連帯保証であるが、政策課題としてきちんと問題視されたことはほとんどない。少なくとも、経営者本人の保証と素人の保証を分けて議論されたことは私の知る限りない。それどころか、個人保証の問題を取り上げるとき、“企業の倒産にともない経営者が破産に追い込まれることが問題だから、破産のさいの自由財産(差し押さえ禁止財産)の範囲を大きくしましょう”などという議論が法制審議会でなされている始末である(脚注4)。 自由財の範囲が拡大すれば経営者の自己破産の申請はしやすくなり、また、今でも異常に少ない配当がますます少なくなることが予想される。しかし、経営者本人が自己破産しても借金は残る。このツケをおしつけられるのは、言うまでもなく、素人の連帯保証人なのである。安易に認められる自己破産の問題については別に議論するが、経営者本人よりもよほど不利な立場にある素人の連帯保証人は、政府や裁判所の「温情主義」によって一層困難な立場に追い込まれるのである。

 

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*瀬尾は笑って人を切ることができるタイプである。保証人をことわられた経営者が、松の木にぶら下がったとしても、寝覚めが悪くなることなどないし、卒業がかかっている学生にDをつけることもなんともない(←本当 学生諸君、要注意)。

脚注1 保証人になるな!とうったえる本は多数出版されています。本サイト図書室をご参照ください。本文で引用されているのは

☆「なるな!保証人―印鑑一つですべてを失っていいのか」 山本 浩史(著), 稲垣 勲 (著) 1986主婦の友社

脚注2 連帯保証人だって欲得で保証をしているのだから、主務者より先に追い込むまれてもやむをえない、という認識。都道府県の信用保証協会も含めていわゆる「悪質」とされている金融機関は、なにかのときには主務者より先に保証人を追い込むという。なぜなら、主務者はしばしば周到に資産を隠し、さっさと破産弁護士をやとって免責を申請するなど逃げ足が速いが、保証人は保証債務を押し付けられて断りきれないほどぼんやりした人物であるため、逃げ足も遅く追い込みやすいのである。本HPのケーススタディーでも、兵庫県信用保証協会は、主務者からはとりたてをせず、もっぱら連帯保証人だけを追い込んでいたのは印象的である。弁護士の話だと、保証協会が取りやすい人から取ろうとするのはいつものことのようだ。もちろん連帯保証人には催告の抗弁の権利がないため、非人道ではあっても法律違反ではない。

脚注3 升味佐江子,2002,「欧州並みの個人保証人保護を日本にも」,発想Vol.3,pp.90-103.

 

脚注4 中小企業白書 2002年版(2003年5月発行) p141

 

 

参考

        素人連帯保証人が置かれ得る状況*

 

情報

会社に利益がでたとき

会社がつぶれたとき

 

経営者

(形は会社の連帯保証人だが、事実上の主務者)

◎ 持っている

◎ 自分のもの

自己破産をすれば

借金は全チャラ

家族

? 持っている必要はない

◎ 潤う

◎ 

財産をゆずってもらえる。

離婚のチャンス!

素人の連帯保証人

× 持っていない

× 関係ない

×××

すべての借金を主務者その家族の代わりに負わされる。ちゃんとした会社に勤める人は自己破産をすると退職金をさしおされられる。

金融機関

○ プロなら持っているべきである

◎ 利息をつけて返してもらえる

○ 保証人や保証協会に利息をつけてかえしてもられるが、保証人が自己破産に追い込まれた場合はとりはぐれることもある。

 

*いつもとはいわないが、低確率ともいえない。

 

 更新:平成16年3月31日

 

 

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連帯保証人の悲劇

 

―予期せぬ災い―

 

大手のデパートで働くあや子は、今年いっぱいで4年間勤めた会社を辞めようと思っていた。学生時代からの服飾デザイナーの夢を実現させるために専門学校に通うためだ。あや子が住んでいる部屋は家賃4万8千円で風呂なしである。4年間、節約を重ねて貯めたお金は100万円。アルバイトをしながらならなんとか勉強をつづけられそうだ。そう思って入学の手続きをした帰り道、大学時代の先輩のC枝にばったり会った。C枝は近所の繁華街に子供服専門の小さなブティックを経営している憧れの先輩だ。「よかったら遊びにこない?」という誘いで店に遊びにいった。「素敵なお店ですね」「小さいから大変よ。最近は子供も減っているしね。」「でも、その分、一人にお金をかけるようになっているんじゃないですか?」「そうでもないのよ。あや子ちゃんみたいに、大きな会社に勤めてるのがうらやましいくらいよ」

「あや子ちゃん貯金いくらある?」C枝は突然真顔になった。「まだ100万くらいですけど・・」とあや子。「そのお金、一ヶ月ほどお借りできないかしら?」なんでも店の運転に必要だという。あや子は思った。100万は大金だけれど、専門学校に入学する来年の四月までは使う予定がない。それにC枝さんは信用のできる先輩だ。後日あや子は100万円を貸し、C枝からきっちりと形の整った借用書を受け取った。ところが、約束の一ヶ月を過ぎてもC枝からの返済がない。あや子はC枝に電話をした。「先輩申し訳ないんですけれど、あのお金なんですけど」「あああれね。ごめんなさいね。お店結局うまくいかなくて自己破産することにしたの。だから法的に返済義務はないのよ」。

「え?」あや子は一瞬頭が真っ白になった。「じゃお家や車なんかもみんな処分しちゃったんですか」。C枝は郊外の高級住宅地にしゃれた家を新築し、高級外車に乗っている。「いいえ、あれは主人のだから。自己破産するのは私で主人じゃないから、家や車はそのままなの。こんど遊びに来てね。」「ちょっと待ってください!」あや子の言葉を聞かずにC枝は電話を切った。その後、あや子はC枝の弁護士という人からC枝が自己破産するので、本人と直接接触するなという趣旨の連絡を受け取った。C枝からはそれきり連絡もない。C枝の免責は認められ、あや子は専門学校もデザイナーの夢もなくなったことがわかった。でもC子は相変わらず時価で7千万もの住宅に住み、850万もする車を乗り回している。そんな人にあや子はなけなしの100万円を取られてしまったのである。4万8千円の部屋からは当分でられそうもない。あと100万貯めるのに何年かかるのだろう。あや子はため息をつく。

 

 連帯保証人の悲劇2

 ―よくある話―

 

この記事を書いているうちに、近所のご夫婦が保証債務を引き受けてしまったという話を聞いてしまったのでご紹介。この人は、知り合いの会社社長に頼まれて連帯保証をひきうけてしまったが、この社長が自己破産を申請したため、債務を履行しなければならなくなった。金額は250万円。この程度の金額であれば、保証債務としては破格に安いほうだ。この保証人も、まあ250万くらいなら仕方ないかな、と思っている。しかし、このご夫婦はすでに退職しており、保証債務は退職金を取り崩して履行しなければならない。安いといっても重いことは重い。

ところが、先日このご夫婦が、例の会社社長にとある会の会場で会った。この社長、娘の名前で店を始め、「いやあ〜結構やってますよ」と上機嫌だったという。それだったら250万を支払ってください、と言いたかったという(この社長、現在年収5千万円)。

典型的な事例だ。自己破産のおいしいところは、いったんそれが認められてしまえば、その後いかに大金を稼いでも、一円の返済義務も生じないところだ。任意で返済することはもちろん可能だが、自己破産を申請するような人間は、金を返したくないからこそ申請するわけで、免責がみとめられた後に任意で返却することなど期待できるわけがない。

別途議論するつもりだが、免責制度の不当運用を防止するためには、この100%免責ということをなんとかする必要がある。申請者が免責決定後金を稼いだ場合は、収入の一定割合ずつ返却することを制度化したほうがよいのだ。「借金を一生かかえていては生きていけない」などと言う人も存在するが、一定割合であれば生きていけないはずなどない。なぜなら、われわれは金を稼ぐ限り、一定割合を必ず税として収めなければならないが、それでもちゃんと生きているからである。

余談だが、「借金をかかえていては生きていけない」という言葉で債権者をおどす弁護士は、人として最低だ。「人の命」というかけがえのないものを道具として相手を脅迫しているのである。

 

更新:平成16年3月31日

 

 

 

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連帯保証人の悲劇3

 

―投稿のご紹介―

 

連帯保証人になってひどい目にあったという投稿のご紹介。よくある話しなんでしょうけれど・・
 
「こんにちは!

拝見させて頂きまさに私の事だと思いメールさせて頂きます。

 

債務者有限会社

連帯保証人代表取締役

連帯保証人取締役 私

金額5006万円保証協会つき 

 

ある日代表が社員一名をつれ突然姿を消してしまいました。その2週間後会社に張り紙が、会社破産宣告自己破産あぜんです。確かにくるしいのは知っていましたが、私だけ残されてどうしようもないと言う感じで債権者には時点で私が電話をし事情を話しましたが、取引先は皆さんしょうがないねと言う事で納得してくれるような所ばかりです。銀行にも私が呼び出され別に破産しなくても良かったのにと言う感じでいかにも事務的手続きです。せめて、会社の道具があればまだ、稼ぐ事が出来るのに、おそらく消費者金融系のカードが原因ではないかと思います。かなり風俗やキャバクラ通いをしていたみたいです。しかし、日本の法律は、逃げたやつを保護して逃げないでがんばる人をけ落とすような法律なんですね。今は、開き直って取りたければ何でも持って行けって感じです。私は絶対破産しません。

生きている限り返し続けるつもりです。」

 

5千万は個人で返済するにはかなりの金額ですね・・・保証協会つきはお決まりですね。

 

>日本の法律は、逃げたやつを保護して逃げないでがんばる人をけ落とすような法律なんですね

本当にそうなんです。逃げずに働いている人こそが税金を払い社会を支えているということが分かってるのか!といいたいですね。ただ、免責が安易に認められすぎるという現状には、現場の裁量でそうなってきているという側面が濃厚で、あながち立法府の責任とはいえない感じです。それにしてもどうして実質主務者(代表)はいつも自己破産して逃げるかなあ・・

 

>私は絶対破産しません。生きている限り返し続けるつもりです。

えらいです。そういう人はまわりも支えてくれるはずなので、今は苦しくてもいずれ成功されるのではないでしょうか。もともと貴方が代表取締役だったら良かったのに、ですよね。お便りありがとうございました。

 

 

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3/13/2005

 

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連帯保証人の悲劇4

 

投稿のご紹介 その2―

 

これもメールで頂いた事例です。(受信日2005年12月)

「 私は勤務先の社長に頼まれ、断りきれず会社の借金の連帯保証人になりました。保証協会の保証付きの借り入れです。

 

 当時、私は35歳。年収も550万程度。資産もなければ、結婚したてで、挙式や新婚旅行にお金を使い預貯金もほとんど無い状態でした。

会社の借り入れは3000万円。最初、私は断りましたが、社長からの頼みでもあり、またこんなお金の無い私が3000万円の保証人の審査に通るわけがないと思い、ついついサインをしてしまいました。国が税金で保証するのだから、きっと審査も厳しいと思い込み社長に諦めてもらおうとサインをしたのが大きな間違いでした。簡単に審査に通ってしまい、連帯保証人に。それから約2年で会社は倒産、社長個人も破産。私は勤務先倒産で職を失い約2000万円の借金が残りました。来年早々に保証協会が銀行に代位弁済するようです。

 

先日、返済方法を相談したいということで、保証協会から連絡があり行ってきました。2000万円という金額の確認と代位弁済後に付く年約14%の金利の説明をうけました。2000万円だけでも返すあてが無いうえに、約14%の金利です。約5分、説明を受けただけで、こちらの質問には、まだ正式な担当者が決まっていないのでとの応えのみ。連帯保証をした私が悪いのですが、誰が見ても返済能力のない私が審査に通ることが納得できません。社長の頼みを断れず、国の審査を期待した私がバカなのですが、このような悲劇は私だけではないと思います。この審査の甘さは、より多くの人を苦しめると思います。

 

なんのための連帯保証人なのでしょうか?拝見させて頂きまさに私の事だと思いメールさせて頂きます。

 

匿名希望さん、メールありがとうございました。勤務先の社長の頼みで断れない、あるいは、取引先でお互い様なので断れないというのは連帯保証人の最も悲惨なパターンだと思います。雇用者と被雇用者などのように力関係に明らかに差があるような場合(保証人の方が弱い場合)は、契約が本当に自由意志に基づいて行われたのかどうか厳しく調査されるべきものだと思います。特に貸し手が大銀行や政府系金融機関の場合は、貸し手責任でそのような意思確認がなされるべきでしょう。

 

幸い(遅きに失した感はありますが)、我々の声なき声が政府にも届いたのか、保証協会は原則、第三者保証を禁止する方向で改正が決まりました。金融庁は貸し金業者については、保証人の保証能力の審査を義務づけたいようです。

 

2006/03/20 更新

 

連帯保証人の悲劇5

 

―義姉さん、死んでくれてありがとう―

 

以下は会のメンバーの体験ではない。エコノミストに乗った私の論文を読んで話に来てくれた人の話をそのまま紹介するものである。だから細部まで正確かどうかはわからないが時に、涙を浮かべながら話彼女の話は嘘とは思われなかった。彼女は私の母親くらいの歳だろうか。白髪の上品な可愛い感じの人であった。

 

「以前、先生が自己破産の被害者になられた記事を書いてその記事を読んだ頃、わたしちょうどの義姉(あね)の破産手続きをしていたんです。あれを読みまして、わたし涙がでました。わたしの義姉と同じだ。こういう人はどこにでもいるんだ。うちの親類にだけでなく、先生のご親戚にもこういう人がいるんだと思いた。」彼女はこう切り出した。

 

話の詳細はこうだ。彼女は沖縄のある島の出身である。沖縄の人は親類や地域のつながりが強い。都会にでてきても、その絆は続くことが多い。彼女は夫と二人で東京に出てくるが、同じく、関東周辺で暮らす夫の姉妹とも親交があった。彼女が破産手続きをしたのは義姉だった。義姉の夫は不動産屋をしており、バブルの頃にはそれなりに繁盛していた。それはもう、親戚一同がうらやむようだったという。ところが、バブル崩壊後事業が傾く。それから義姉が借金がはじまった。どうも原因は甥、つまり義姉の息子のようだ。

 

「人間は一度贅沢を覚えてしまうとなかなか忘れらないのかもしれませんね。上の義姉の息子(甥)がまさにそのとおりでね、いいときに大事に育てられたのが裏目にでたといいますか、もう40にもなるのに定職にもつかないで。ニートっていうんでしょうか。親の年金をあてにしてぶらぶらしてます。」政府の定義によるとニートは34歳までだそうだから、40だと当てはまらないが、要するになにもしないでぶらぶらしているということだろう。

 

上の義姉の一家は、以前は世田谷の高級住宅街に結構な家を構えていたらしい。だが、息子が借金をこしらえて、その返済に家を売って多摩のほうに引越しました。が、そこも息子の借金でとられて、多摩でももっと山奥に引っ越しましたがそこも売った。山奥の家は売っても足りなくて、義姉はサラ金に手を出し、その返済に困って今度は親戚中をまわって歩くようになったのだという。

 

5万円、6万円っていうお金じゃないんですよ、先生。数千円なんです。」と彼女は語る。「今日中に3千円ないとお米が買えないとか、5千円ないと電気が切られるとか言うんです。わずかな金額なんです。」だからとても断りにくい。それが毎日続く。彼女の家では、彼女の息子が絶対に貸してはいけない、一度貸すと何度でも来るからというのでついに貸さなかった。それで義姉は義妹のもとに通うことになる。毎日毎日、日掛け金融の借金取りよろしく、金の無心に訪れる義姉。義妹はそのストレスでノイローゼとなり入院してしまう。「毎日毎日、上の姉がお金を借りにくるもんですから、とーと、おかしくなってしまったんです。わたしも見舞いに行きました。そうしたら下の姉の口からでるのはお金のことばかり。本当にお金のことばかりなんです。」自分が借りたものでもないのに、このまま義姉をほうっておいたらこの人は死んでしまう。

 

「わたし上の義姉のところに行って自己破産をすすめました。息子と二人破産してでなおせと。そうしたらね、先生。その馬鹿息子、朝から焼肉たべてワイン飲んでるんです。部屋には靴の箱の山。箪笥にはコートやジャケットが沢山下がってるんです。あんたこれ買ったの?なんで借金してこんなもの買うの?わたし思わずそう言いたよ。わたしなんか靴下をつくろって履いてる。食べるものも働いた分で食べられるだけのものを食べてる。なんで働きもしないあんたが贅沢するの!って。そうでしょ、先生。」

 

これはよくあることだ。われわれが抱く自己破産者のイメージは、質素で、切詰めて切り詰めて、それでも足りなくて仕方なく、というものだ。だが実際には違う。全員がそうだとは言わないが、かなりの債務者の生活は、借金をぜんぜんしない人々に比べて派手で贅沢なのである。私の近所にもつつましく暮らしているおばあさんがいるのだが、親戚らしい中年女性が良く金の無心に来る。この女性、おばあさんの500円玉貯金まで探し出して持っていってしまうのだが、女性も、女性の二人の息子も、上着から靴下にいたるまでブランドギラギラである。おばあさんは仕方がないので、公園のたんぽぽなどをおつゆの実にしている。

「みんな少ないお金でやりくりしてるんです。そうでしょ?先生。数百円のものでもちゃんと働いて、お金を出して買ってるんです。それが当たり前です。働きもしないでなんで贅沢するのか、なんで借りてるほうがお金を無駄に使うのか、下の義妹のことを思うと腹がたって情けなくって。」その通りなのである。

 

義姉夫婦は、その頃はもう会社をたたんで年金暮らしをしていたが、会社を一時、息子にやらせていたことがあったそうだ。だが、息子は自分が贅沢をするだけで全然働かなかったという。「それじゃあ従業員もついてきませんよね。だってそうでしょ、先生。小さい会社では社長が社員の誰よりも良く働かなくてはだめなんですよ。社長が一生懸命働いているから社員もやろうという気になるんですよ。自分の贅沢のために会社を利用するような人の下で誰が働きますか。」うちの義兄に聞かせたい。

 

義姉は自己破産はしないといって彼女を追い出したという。それからしばらく借金で生活をしていたが、とうとう向こうから自己破産したいから手伝ってくれと言ってきた。だが義姉はそれも自分ではしない。それどころか、どこにどれだけ借金があるのかも分からなくなっていた。「自己破産は誰からいくら、誰からいくらって裁判所に届けなければなりませんでしょ。だからわたしが義姉に化けてカード会社なんかもまわりました。そりゃあもう大変でしたよ、先生」。でも、それでもなんとか免責されたのだと彼女は言った。

 

ところが、免責が確定するかしないかのうちに、甥がカードを持って失踪してしまった。彼女は義姉と甥の自己破産を手伝うのに、カードや印鑑類を預かるという約束をしたのだという。「これ以上よそに借金させないためにね」。そう、自己破産をしても、それまでに持ってたカードは残ってしまうのだ。そもそも自己破産は過去の借金を棒引きにするだけのもので、それで生活が立て直せるわけではない。債務者の生活態度や借金体質が変わらない限り、同じことが繰り返されるだけのこととなる。ところが、甥はカードを隠し持って失踪してしまった。結局散々探してようやく取り返したのだが、先がおもいやられるという。そうこうしているうちに、今度は義姉の夫が倒れてしまった。急きょ入院したはいいけれど、入院費が全くない。仕方なく彼女は親戚中を回ってお金を集めてまわることになる。このあたりやっぱり沖縄の人である。

「少しでも出してください言って回ったんです。でも、どこでも、上の姉の家に貸してない家はないんです。みんな借りにこられて。いくらかずつ貸している人ばかりなんです。」それでもようやくお金を集めて、義姉に渡した。ところが、「先生、まあ、その大事なお金を、また息子に全部やってしまったんです。そんなこと考えらないでしょ。」

そのあと、ようやく義兄(あに)が退院できるようになったら、今度は、上の義姉がぽっくりと亡くなってしまった。ほんとうに急なことで、ぽっくりとだったそうだ。こんどはお葬式代がない。それも親戚でなんとかした。

 

「でもね、先生。わたしこのとき正直ほっとしたんです。義姉は亡くなるまで元気で、口も達者、足も達者でした。どこで何するかわからないんです。怖いですよ先生。今度はなにかと思うと心配で寝られません。でも義姉が亡くなってくれてようやく親戚にも平和がおとずれました。死んでくれてありがとう。本当に死んでくれてありがとう。親戚の皆が心からからそう思いたよ。」

 

「死んでくれてありがとう」私はこれが、親戚の借金で苦労した者の偽らざる感情であるかと思う。「債権者の中には死なれるよりは踏み倒されたほうがいい」と言う者もいるが、そんなことを言う債権者にはビジネスで金を貸している人、つまり実際に自分の懐が痛むわけではない人が多い。もちろん、なかには「死なれるよりいい」と、踏み倒されるとわかっていて連帯保証人をひきうける仏様のような人もいる。だが、そうでない人を責めることなどできないと思うのである。

 

    2010年1月20日追記

彼女は先日定年で退職した。年金の手続きに行って、「これで暮らせると安心したり、こんなに少ないのかとびっくりしたり」と言っていた。「でもね先生」と彼女はくわえた。「遊んでばかりいて年金のない人は、年金生活者の何倍も、生活保護がもらえるんですよ。親類がそうなんです。もう、仕事ぎらいで、働かなくてね」と。YES。それは事実としてわたしは知っている。政府は働かない人を保護するのが大好きなのである。弱者保護こそ権力の出所だからだ。

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