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連鎖反応

 

−仲澤絢子氏の著書とお便り紹介−

 

連帯保証人の被害者は本当にあとを絶たない。今こうしている間にもどこかで被害者がでているのではないか。

仲澤絢子氏の著書「連鎖反応」(碧天舎)はごく普通の家庭を襲った連帯保証人の悲劇の体験を赤裸々に綴ったものである。同じ連帯保証人の悲劇に見舞われた人が読むと自分のことのように心が痛んでつらいかもしれないが、破産なんて他人事、と高を括っている人には是非読んでほしいものだと思うのである。

著者から当サイトあてにお便りが届いているので、以下に全文を紹介します。

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仲澤 絢子

 

自分の悩みをなんとか解決できないかとインターネットで検索しているうちに、先生が書いた論文を見つけました。「連帯保証人の経済学」を読んで、私が体験して感じたことをそのまま書いてくださったことに、大変感激しています。そして、先生の論文に対する批判についても読みましたが、おそらく批判した人は、実際に債務者に裏切られた人の体験談を知らない人でしょう(そういう方には、ぜひ私の書いた「連鎖反応」を読んでほしいと思っています)。私は彼の主張に全部反論できます。リスクを承知して保証人を引き受けた人なら、後で泣いたりしません。彼は、債務者を信じて保証人になった結果、どん底に落ちた人たちの気持ちを一つも理解していないから、あんな批判がかけるのでしょう。彼は、誰かの連帯保証人になって、(信じていた)相手に逃げられて借金を肩代わりしても、まだ同じことを主張できるでしょうか。

 

私の実母の債務が原因で、私たち家族は今、非常に不安定な状況にあります。今までの経験を振り返って、『人はなぜ保証人を引き受けてしまうのか、人は保証人を頼んで助かっておきながら、なぜその責任を果たせないのか』という疑問を、私は何度も繰り返しました。そして連帯保証人制度に対する疑問、理不尽さ、憤りが、私をパソコンの前に座らせ、その思いを本にまでさせたのです。私の体験は、泣き寝入りするにはあまりにも理不尽で、自分の気持ちを抑えることができませんでした。

身内のことをここまで書くことは、本当は「してはいけないこと」かもしれません。私のしていることは、他人から見ればただの腹いせや悪あがきに見えるかもしれません。本来、保証人に自分の借金を残すことは、「してはいけないこと」だと思いますが、そう思わない人もいるようです。その無責任さを批判するのは、「してはいけないこと」でしょうか。でも保証人になって、泣き寝入りしているほとんどの人は、信頼していた相手に裏切られた人だと思います。保証人が、引き受けてしまった自己責任を問われて請求される一方で、債務者が自殺したり、夜逃げしたり、あるいは居場所がわかっているのに、「今はできません、なんとかしますから」と責任逃れすることは、どうしても理解できません。

「連帯保証人制度はあってもいいんだ。ただし借りる人は、保証人を頼んで借りた責任を最後まで果たせばいいし、保証人になる人は、いざとなったら自分が返す覚悟をして引き受ければいいだけなんだから」と主人は言います。私も、「金融機関と債務者は、堂々とリスクを説明して、それでも引き受ける保証人を見つけてくればいい」と言いたいです。先生の論文を読んで、「その通り」と何度もうなずきました。利害関係が一致する金融機関と債務者は、連帯保証人にリスクを説明する責任を負いません。保証人は目隠しをされた、ただの人質、人的担保です。気づいた時には手遅れで、ただ屈辱感のみです。連帯保証人にいったいどんなメリットがあるというのでしょうか。惨めな立場に追い込まれて、保証人のほうが死にたくなります(私は今でも時々、死んで嫁ぎ先にお詫びしようと思っては迷いますが)。

論文を批判なさった方は、保証人にもリターンがあるから引き受けるんだと書いていましたが、債務者が借りたお金で儲けても、保証人には配当もないし御礼もありません(一番のリターンは、債務者が完済して保証人から解放されること?)。私はHigh risk, Few returnだと思っています。親が子供を応援するために保証人になるのはまだ理解できますが、私の周囲にいた親のように、子供を無駄な借金の保証人にすることは、子供の将来の収入まで担保にすることですから、私には理解できません。同じ事業を継いでいる息子に頼むならまだわかりますが、サラリーマンの息子や娘婿を、数千万円の借金の保証人にして、リスクを背負わせてまで事業を続ける親の気持ちを、誰か説明できるでしょうか。

本来借りる側に保証人は必要ないし、まじめな人ほど保証人に義理立てして、余計な借金を増やし、保険金で保証人を助けようとします。保証人がいなければ、利息の高いところから無理に借りてまで、事業を延命させる必要もないはずです。保証人がいないと融資してもらえないから仕方なく頼む人もいるし、連帯保証人には、相手の債務状況をすべて知る権利がなく、この制度が必要だと主張するのは、「不動産以外にリスクをカバーする保険(連帯保証人という人的担保)がほしいから」というだけの、貸す側の詭弁に過ぎないと私は思います。連帯保証人は債務者と同じ責任を負うというのなら、債務者を暴走させないために、債務者がどこからいくら借りるのか、全部情報を得る権利を連帯保証人にも与えてください。金融機関と債務者には、説明責任の義務を負わせてください。

頼まれた時に、「私たちは最後の逃げ場なんだから、何と言われても保証人にはなれない」と断れなかったことを、私は今、とても後悔しています。母親の債務状況を知る権利さえあれば保証人にならずにすんだし、本当に助けが必要な今こそ、私たちがこの手を差し伸べられたのに、もう何もできないことが残念でなりません。「常識がないから、そんなに保証人を引き受けてしまうんだ」と言われるかもしれませんが、何パーセントの人の認識が一般常識なのでしょうか。それに含まれない人の判断は非常識ですか。常識にも非常識にも属さない「常識外」の現実もあります。100万円でも、1,000万円でも、引き受けた責任は同じで、連帯保証人のリスクを認識していなければ、請求された時のショックや惨めさも同じだと思います。

私たちはどういう方法で保証債務にけりをつけられるのか、未だにわかりません。いつ爆発するかわからない爆弾をずっと抱えているのですが、それでも生きている毎日が、我ながら不思議です。私の体験は、自分の土地を人の債務のために売買した時の税金問題や、根抵当権を設定した土地を競売した後、配当によって不利益を受ける保証人の立場など、普通ではなかなか経験できないことばかりでした。相手に信用されてさえいれば、人を騙してお金を借りたり、保証人に仕立てたりするのは、案外容易なものだというのが実感です。

私の例は特殊かもしれません。でも基本として、自分で借りたお金を返す努力をすること、保証人に迷惑をかけない努力をすること、そういうことを私は伝えたかったのです。個人個人の過ちよりも、その背景にある、「してはいけないこと」をしてしまう人間のエゴや愚かさ、弱さとか、ありふれた日常を、突然あり地獄にしてしまう「連帯保証人制度」の理不尽さ、そして借金をすることに慣れてしまう「根抵当という貸付制度」やカードローンの恐さを訴えたかったのです。自分の書いた作品を読み返すと、『ここまで書かなくてもよかったのだろうか』とか、『ここまで書かないとわかってもらえないのでは』とか、今さらながら不安ばかりです。もちろん、自分の書いたものに責任を持っているので、本を読んだ人の批判や非難も受け入れなくてはいけないでしょう。素人が書いた文章なので、後からミスばかりが目について、本当は活字にしたことが今でも恥ずかしいのです。でも、一人でも多くの人に、保証人を頼むこと、頼まれることの責任の重さを知ってほしいと思っています。自分の借金について、もっと責任を自覚してほしいのです。

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お便りありがとうございました。しかし、自己破産者ってどうしてこうも同じように無責任なんでしょう・・・とため息がでます。

 

著者の仲澤氏へのお便りは直接こちら

 

更新:平成16年5月28日

 

 

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連帯保証人には「ならなければ済む」か?

 

保証人なんて、ならなければ済む、という議論がある。連帯保証制度問題をもっとも簡単に“解決”する案だ。誰も引き受け手がいなければ、この制度が自然に消滅する日がくるかもしれない。だが、現状では、政府系の金融機関でさえも、素人の保証人をきっちりとるのであり、(とりわけ保証協会が、保証料をとりながら、リスクだけを素人保証人におしつけている実態は大問題。詳細は、ここ)仮に貴方が保証人の依頼を断りきったとしても、現状では誰か別の犠牲者が出るだけである。少なくとも日本に連帯保証制度と中小企業があるかぎり連帯保証人の悲劇はなくなることはないだろう。これを「ならなければよい」とするのは「オレオレ詐欺なんか振り込まなければよい」、「ネットオークションなんか参加しなければよい」、という議論と同じで結果として犯罪を容認するものになっているという意味で単なる思考停止以上に有害である。

また「ならなければ済む」論は議論として非常に荒い。リスクの「程度」というものを全く問題にしていないからだ。たとえばある会社が3000万円を借りたとする。社長個人の連帯保証だけでは足りずに、友人のAが連帯保証をした。社長はAに保証をたのむとき、リスクはあるにしても自宅を売れば2000万にはなる、最悪の場合でも残りの1000万を二人でわけることになるだけだ、と言った。社長の自宅はバブルの頃なら土地だけで8000万はあったもので、銀行の抵当権もついていない。社長はAの友人であり500万くらいならたすけてやってもよい、とAは考えるかもしれない。自宅に抵当権をつけるのも他人行儀だ。だがそれから半年もたたないうちに社長は自己破産を申請した。自宅はいつのまにか妻の名義になっている。Aは結局2500万円の金をはらうことになった・・・

連帯保証をする人はリスクを引き受ける覚悟が全くないわけではない。ある程度は主務者を助けて上げたいという気持ちも実際あるわけで、そういう人が沢山いる日本は良い国だと思うのだ。だが、連帯保証人がリスクを不当に誤認させられる仕組みが放置されていること、そしてリスク自体が制度的に変化することがある点は明らかに問題である。たとえば、日本では「名前だけだから」といって連帯保証を引き受けさせることは普通に行われている(実はウソである。連帯保証人を求められるのは主務者に信用がないからで、名前だけということはありえない)が、たとえばフランスでは連帯保証人がリスクを誤認したままサインした場合は保証契約自体が無効となる。さらに連帯保証人を待ち受ける「罠」はそのような初歩的なものばかりではない。年々容易になる自己破産も連帯保証人にとって保証契約を結んだ次点では知りえないリスクなのである。なぜなら、連帯保証人は、まさか主務者が詐欺ギリギリの自己破産をするとは思っていないし、それ以上に裁判所がそれを許してしまうことなど予想できないからだ。仮に免責に不法な部分がなかったとしても、自己破産が容易になれば、主務者はそれを選択しやすくなるわけで保証人のリスクはそれだけ重くなる。したがって保証契約が継続されているなかでの破産法の改正などは、連帯保証人に予期せぬリスクを負わせる結果となる。つまり連帯保証人には単に主務者が破産してしまうこと以上のリーガルリスクが存在しているのである。こんなものまでの自己責任とするのは無理である。瀬尾は基本的になんでも自己責任主義者で、山岳遭難の捜索も救急車も有料化を支持しているが、自己責任というのは、情報があり、それが個人に選択可能な状況で使うべき言葉である。本来詐術があったら認められない免責を、明文化されてもいないのに裁判官の裁量で拡大し、そのことについて事前の警告を全く与えないまま自己責任などあり得ない。仮に連帯保証人になにがしかの責任があったとしても、その重さは自分で好んで仮に行った債務者の何十分の一かであろう。にもかかわらず、なぜ自己破産者の自己責任を問わずに、連帯保証人のだけを自己責任と言い募るのか。連帯保証人の悲劇は公害の健康被害と同じで、経済学でいうところの外部不経済に相当するものなのだ。

外部不経済であれば当然対策の責任は政府にある。私は経営者以外の第三者連帯保証は禁止するのが適当であると考えている。これは別途議論する「金利を法でしばる必要はない」という話と必ずしも矛盾しない。前述したように、連帯保証人は十分な情報を与えられるとは限らないからだ。これは禁止という手段をとるに十分な理由であると考えられる。その上、高利貸しには借主が主体的に出かけてゆくのだが、連帯保証人については依頼者が自宅におしかけくる、ということも大きな違いである。せっぱつまった借主の中には夜中に知人宅にでかけて行って朝までねばったり、連帯保証をしなければここで死ぬとまで言って脅す輩までいるという。債権の取立ては善意で貸した人のそれまで禁止するくせに、連帯保証人を頼む借り手の恐喝ともいえる手段は放置されたままである。

連帯保証の依頼を断るのは難しい。知り合いがやってくるだけに、見ず知らずの営業マンによる訪問販売を断るよりはるかに難しいのである。それなのになぜ訪問販売はクーリングオフができて、連帯保証契約にはそれがないのだろうか。また、人のよい経営者は連帯保証人を騙すことができないので低金利の融資が受けられないが、保証人を頼むのなんてへっちゃら、という経営者は低利の融資を受けられるという平等な競争の阻害であろうも大きな意味では問題だろう(ちなみに日本の政治家には大きな視点がある人は少ない。連帯保証人制度を問題にしている政治かも皆無ではないが、いずれも中小企業のオヤジがかわいそうで、再生を阻害するという程度の平坦な議論しかできていない –連帯保証人制度を問題にするのは大概中小企業に票田を持つ民主党だから当たり前だが– まことに不幸である。)

 

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*自己破産に際して、資産を配偶者名にするなどとんでもない、というか、詐害行為だから取り消されるはずだ、と思うでしょう。ところが、実際には、詐害行為なんて、裁量免責でチャラになっちゃうことが多いのですね。この研究所のケーススタディーで、自己破産の申し立をしたおっさんは、破産直前に自宅を現金に変えて妻に贈与していますが、この件について、担当弁護士が出した上申書(平成15年10月提出)には次のようなことが書かれています。曰く「夫婦の共有財産ともいえる不動産の売却代金」を妻に贈与しても「なんら問題はない」。盗人はどこまで行っても猛々しくて腹が立つわけですが、それ以上にですねえ、この弁護士はそんなに若くない、ということが怖いわけです。つまり彼は経験上、このくらいのことを言っても大丈夫、ということを知っている可能性があるわけですね。だとしたら、資産を配偶者名にしてからドボンするということが、一般的にまかり通っているということになるわけです。このページを見ている人ですでに保証人になってしまったけど、どうしたらいい?と思っている人、金額にもよりますが、この際、破産者のマネをするという手もあります。つまり、なにはともあれ、資産を奥さん子供に贈与する、預金、保険は解約して箪笥預金に。この手を使う場合、あんまり直前にやるとロコツなので(露骨でも結構免責はでますが・・)、できるだけ早い段階で「準備」をしておく必要があるでしょう。

 

 

 

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