連帯保証人制度−全廃か自己責任か?

 

 ―2つが2つながらに迷惑な理由 

 

 連帯保証人制度については大きくは廃止したほうが良い、という議論と自己責任だという議論の二つがあるが、現存している議論はいずれも粗い。ここではそれぞれの議論のどこが問題かついて少し議論を行う。

 

その1 自己責任だ、論

 

 連帯保証人制度に最も精通しているのは、法律関係者ではなくむしろ金融屋である。そして金融関係の人は、およそメガ銀から街金まで“連帯保証人になるのは本人に欲があるからで自己責任だ”というようなことを言うものだ。このような考えの持ち主でなければ保証人を追い込むことなどできはしないので当然かもしれないが、瀬尾がこの議論に賛成しないのは、金融屋の持論だからではない。誰が言っているかなどはどうでもいい話だ。

 さて、「連帯保証人になるのは自己責任だ」という議論のあとにはなにが続くのだろうか。当然「連帯保証制度は良い制度だから(あるいは積極的に良いとまでは言わなくても必要な制度であるから)残すべきだ」という議論が続くのが普通である。もし「連帯保証制度はよくない制度でなくすべきだ」という議論が続くのだとすれば、そもそも「連帯保証人になるのは自己責任だ」などと(それが本当であったとしても)、わざわざ公言する必要も意味もない。自己責任で避けられるなら制度をなくす必要は全くないからだ。にもかかわらずわざわざ自己責任だなどと言うのは、穴に落ちた人を指差して笑うような行為であり上等な人間なら慎むべきことなのである。

 「連帯保証人は必要な制度だから残すべきだが注意が必要で、その注意をするのは一人一人の責任であり、政府が関与すべき問題ではない。」という議論なら自己責任論として一応筋は通る。だがここで重要なのは、あるリスクに関連して、規制(政府の関与)か自己責任(市場主義)かという議論は、どちらを選択するほうが社会全体の厚生が高まるのかという観点から行われるべき問題だ、という点である。「自己責任」としてこれを市場にまかせたほうがよいのは、選択者に自己の責任で当該のリスクを避けるチャンスがあったかどうかではなく、政府の関与がない方が、社会厚生が高まる場合に限られるのである。

 厳密にいうと、自己責任の余地の全くないリスクなどあるようでそう多くはない。洪水にしても川のそばに住んでいる方が悪く、地震にしても耐震設計の家にすまないのが悪く、深夜の高速道路を走っていてトラックにぶつかられるなんて「夜中に高速を走る」という判断自体に問題がある(これが新幹線よりハイリスクなのは容易に想像がつくことだから)という議論も可能である。ましてタバコを吸っていて肺がんになるなんて本人の責任そのものである!・・・仮にそれが全くその通りだったとしても、「だからタバコを吸って肺がんになった人は国立病院では受け入れられません」という話しに直結するわけではない。

 連帯保証人制度も同じである。「連帯保証人になるのなんて本人の自己責任だ!」という議論が仮に本当だとしても(瀬尾はあながちそうとも思わないがここでは関係ない)、「だから」この制度を温存するほうがよい、という結論が直ちに得られるわけではない。つまり議論すべきは、連帯保証が本人の「自己責任かどうか」ではなく「自己責任として放置したほうが社会全体の厚生が上るかどうか」なのである(まだ両者の差が分からない人、この本を読んで「自己責任」について勉強してください)。

 で、どちらが社会厚生を高めるかであるが、経営者本人の連帯保証についてはあったほうがよく、第三者保証についてはないほうがいい、と考えている。前者は市場に最適化のメカニズムがあるが、後者には(情報の非対称により)それがあるとは考えられないというのがその理由である。

 

 さて、ここからは全くの蛇足になりますが、典型的な議論に反論しておきましょう(こういう議論自体が無駄なことは上記の議論で明らかなんですがね)

 

これだけ「保証人にだけはなってはいけない」と叫ばれているのに保証人になってしまう人は、保証人制度がなくなったとしても何らかの被害者になってしまいます

 

え〜と^^;これは「闇金に追い込みをかけられて自殺するような人は、闇金がなくなったとしてもどうせ死んでしまいます(だから死なせておいたらいい)」という議論とおんなじですね。この方は金融屋さんだった人で保証人制度にはお詳しいんです。だからこれだけ言われているのになぜ?ということなのでしょう。でも、これだけ云々というのは、金融業界に身をおけばこその感想で、普通の人は保証人と連帯保証人の区別もつかないほうが普通です(それがいいといっているわけでもないですが・・)。私なら「これだけ・・・叫ばれている」という「叫び」が、実際問題として大して役に立っていないのだと理解しますね。

 また、本人が気をつければ連帯保証人にはならなくて済むというのも本当でもあり嘘でもあります。がんばれば東大に入れる!というのと同じです。1人の人に言うなら正解でしょうが、日本中のすべての人に言ったら本当ではないでしょう。全員が頑張っても全員が入れるわけではないですからね。現行の連帯保証人にも似たところがあります。なぜなら、保証協会の保証付融資は、政府から押し付けられてそのだいたいの目標が数値で決まっており、かつ保証協会が第三者保証人を求めるからです。ロシアンルーレットと同じで、中小企業向け金融の目標額が達成されれば必ず犠牲者が出る仕組みです。全体を見て政策を考える場合、このような状態のなかで、気をつければ(保証人に)ならないで済みますよ、と日本人全員に言ったとすればそれは矛盾なのです。

 

 

その2 無用だ、論

 

 連帯保証人制度問題を考える際に、経営者本人の保証と第三者保証を分けて考えることの重要性をこのサイトでは何度も強調しているが、「経営者本人の連帯保証も廃止すべし」、あるいは「江戸時代の遺物から廃止しろ」という安易な議論がなぜ有害なのかまとめておく。この議論は主に、中小企業者から支持を受けている政治家や経営コンサルなんかが得意とする議論であるが、まさにそこがこの議論の怪しいところである。そもそも経営者が個人的に会社の連帯保証をするという制度は、本当にないほうが経営者のためになるのか? どんな経営者のためになるのか?

  普通に考えれば本人の連帯保証も含めて連帯保証が禁止された場合、中小企業に対する貸出金利は確実に上る。したがって、ポイントは「金利が上ったとしても」、そのほうがいいと考える中小企業者がどれだけいるかというところにある。中小企業経営者は、5%(連帯保証あり)と18%(連帯保証なし)という二つのオプションがあった場合、後者のほうを選択するのだろうか?中には高金利より本人の連帯保証付のほうがいい、という業者がいるのではかなろうか。なぜなら、不履行になるリスクが小さく(そのことを連帯保証する経営者が知っており)、確実に返せるとわかっているなら、高い金利を払うのは無駄だからである。銀行の担保主義を闇雲に批判する人であっても、たとえば車のローンを組むとき、その車を担保にいれれば年利4%、いれなければ29%といわれれば担保に入れるほうを選ぶ人も多いだろう(瀬尾なら絶対担保にいれますね)。では、連帯保証をしたくないのはどういう経営者かといえば、そろそろ危ない、という会社の経営者か、ハナから踏み倒そうと思っている経営者だろう。特に踏み倒そうと思っている経営者は、連帯保証は絶対にしたくないけれど、金利はいくら高くても(どうせ踏み倒すのだから)同じと考えるだろう。

 つまり、本人の連帯保証も禁止すべきだ!と訴えている人は、中小企業全体の利益を訴えているようにみえて、主には悪い企業の利益を代弁していると考えられるのだ。

 もっと穿って考えることもできる。中小企業から支持を受けている政治家は、連帯保証人制度が、特に第三者保証制度がなくなっては困る(どうして困るか分からない人はここを読む)。だが、昨今の情勢ではあからさまに第三者保証万歳といえば、票を失う。そこで、上記のような甘い議論を展開するというストテジーを取っている、と考えると穿ちすぎだろうか。日本の官僚がいかにぼんやりしていても、このような甘い議論に説得されて連帯保証人制度の廃止を検討するほど馬鹿ではない。結局この議論を展開する者は、まんまと連帯保証人制度全体を温存することができる上、「私たちがこれだけ言っているのに、政府が連帯保証人制度の見直しをしないのです」といってこれを政府のせいにすることができる。第三者保証人制度に疑問を持っている人のなかには間違って支持する人も出てくるかもしれない・・・というシナリオだ(こんなにかしこくないかな^^;

  連帯保証人制度が輸入物であれ江戸時代の遺物であれ、今日まで連綿と続くのにはなにか理由があるはずで、それはそれでキチンと検討したうえで廃止なら廃止を訴えなければ、それなりの人物を説得することなどできはしない。民主主義とは矛盾する!(こういうこと言ってる人いるんですよ、本当に^^;)なんていきまいても馬鹿の烙印を押されるだけ損である。というわけで、私は経営者本人の連帯保証を含めて廃止しろ!といっている人には用心が必要だと考えている。

 

さて、ここからは全くの蛇足になりますが、典型的な議論に反論しておきましょう(こういう議論自体が無駄なことは上記の議論で明らかなんですがね)

 

大企業が金を借りるときには経営者は連帯保証人にはならないのに、中小企業だけとは不公平だ。

 

あんまり意味のない議論ですね。大企業が借りるような金を雇われ社長なんかが保証しきれるものじゃあないですよ。つまり、実際に意味がないからしていないだけで、公平を期してないからではないですね。オーナー社長の場合は、コケれば多くを失うのは大企業も同じでしょう(疑う者は堤を見よ)。

 

 

2005/04/08

 

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